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苦労したからこそ愛おしい一戸建て

我が家が青梅市に注文住宅を建てようと決心したのは、今は実績のある宮城のゴミ屋敷清掃会社に勤める上の子供が一歳の時でした。
住んでいたアパートでトラブルが起き、どうせ引っ越すなら家を建ててしまおうと、かなり安易に考えていました。

決心してからは、住宅メーカー巡り展示場巡りに費やす毎日。
土地を探すにも、仕事場が近い方が良いとか、実家に近いほうが良いとか、ここは工場が多いから子育ての環境は良くないとか、とにかくピンとくる場所もありませんでした。

数十か所回って、ようやく希望の土地も見つかり住宅メーカーも見つかり、さて契約、という段階で、義母が言いました。占い師にみてもらったら今年は家を建てるのは良くないから、来年にしなさい、と。
義母の意見は絶対なので、それに従わざるを得ませんでした。

納得は行きませんでしたが、今考えると延期した一年があったからこそ、家具を見に行く時間もでき、照明やインテリアを選ぶ時間もでき、ゆっくり間取りを考える余裕もあったんだと思います。
そう、我が家の自慢は間取りから全て自分たちで考えたことです。
家族が個室に閉じこもらないように二階の踊り場を広く取りセカンドリビングにしたり、子供がつまづかないよう段差をなくしたりしました。

ただ一つ後悔したことはトイレの位置です。
2階のトイレを玄関の上に作ってしまったので、誰かが2階のトイレを使っているとき玄関にいると音が聞こえてしまうことだけが残念でなりません。
それ以外は、主人の要望であった書斎も作ることができ、満足しています。

アパートにいたときにはなかった解放感のせいか、食事が終わると自然と2階のセカンドリビングに集まり、みんなでゲームをしたりおしゃべりを楽しんだり、家族の絆がより一層強まった気がします。
全て自分たちで考えたのでかなり苦労はしましたが、だからこそ、わが子のように愛おしい家になったと思っています。